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ピアニスト列伝「アルトゥール・ルービンシュタイン」③ – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Online Shop

ルービンシュタインの音楽について、僕が幼い頃に感じた印象とは
「回想録は素晴らしいし、人間的にも魅力満点のルービンシュタイン。
でも音楽は正統派だし、素晴らしいけれど、ホロヴィッツのピアニズムに惹かれる」というものだった。
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齢50を前に検証してみると、この見方は「幼い」と言わざるをえない。
これから語りたくなるだろうチリ生まれの偉大なピアニスト、Claudio Arrau(クラウディオ・アラウ)にも同じことが言えるのだけれど、
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音楽というものには「スタイル」という難しい話がどうしても語らねばならない要素で、ある意味この「スタイル」が崩れると、どんなに素晴らしい技術を擁して演奏しようとも、「失格」の烙印が押される。

確かにホロヴィッツの演奏は素晴らしいけれど、それは彼が作曲家上がりのピアニストとして、かなり楽曲を「拡大解釈」するきらいがあるために、大衆を唸らせることができた、とも言えるわけ。つまり「スタイル」という観点からいくと、「下品すれすれ」と言えなくもない。(僕は好きだけれど。)
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デフォルメの実態とは、結局のところ「つまらない様式感覚を超えても表現したい何か」を突き詰めたときに生まれるもの、だということ。

そういう意味においては絵画の世界で、写実主義から印象派が生まれる時でも、相当の抵抗があったように、何かの枠を「ぶっつぶす」には、それ相応の理由が必要になる。その理由を口で言ってもしょうがないから、音で表現しつくしたのが、ある意味20世紀初頭の演奏家たちなのかもしれない。例えばフリッツ・クライスラーなどが良い例。(ちなみに僕は犬が好きだからヴァイオリンを弾く彼より、犬を抱えたクライスラーに惹かれるのだ。)
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でもホロヴィッツが若い頃の演奏を聴くと、ちっともStravagante(大げさ)な表現を用いてはいない。緻密な計算の上に成り立つ、極めてスタイリスティッシュな演奏が多かった。

ではルービンシュタインは年齢とともに、どのように変化したのだろう。

 

これは彼が63歳の時。
若い頃は練習しなかった、という彼が練習を始めて、正統派としての地位を確立したのは、こういう一連のフィルムができたころのことではないだろうか。

ルービンシュタインは、ある時若き天才、カナダ人ピアニストのGlenn Gould(グレン・グールド)のインタビューを受けたことがある。
その模様は「グレン・グールド・リーダー」にあるので、読んでみたら面白いと思う。
「わたしは1000人の聴衆の前でも、一人の人を見つけて、その人に演奏する。そんなアンテナをあるとき、地方巡業をしている中で身につけることができたように思う。」と回想している。

僕はこれを読んで、「宮本武蔵の秘伝と同じ」と思ったりしたのだけれど、これ以上書くと、ぼろが出るのでやめておく。
今日はここまで。夕食のビールが待っているから。
追伸:

 

これは彼が88歳の時のリサイタル。

ピアニスト列伝:アルトゥール・ルービンシュタイン②ショパンの品格 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Online Shop

こんにちは!お元気ですか?
今日は生憎の雨ですが、梅雨の時期雨が降らないと
夏の暑い盛りには水不足になりますよね。
惠みの雨だということで、今日一日感謝を込めて参りたいと思います。

さて、今日はピアニスト列伝:アルトゥール・ルービンシュタイン
の続きをお送りいたします!

ルービンシュタインと言えば、ポーランド人としての使命感を持って
演奏されたショパンの全曲録音が有名ですが、
彼の演奏したショパンは、輝かしくも美しい、極めて男性的なショパンの
イメージを作り上げたと言っても言い過ぎではありません。

それまで主流だったショパンのイメージは、どちらかと言えば「女性的で感傷的な演奏」(ルービンシュタインの言葉)だったようですが、そのイメージは楽譜から受ける印象とは大分違うようです。

僕自身も若い頃、随分ショパンを弾いて育ちましたが、ある時期から気が付いたのは、例えば「英雄ポロネーズ」や「幻想ポロネーズ」などにおけるショパンのヒロイック(英雄的)な表情と、その作曲方法が極めて構成的で、内容の深さや響きの多様性から見ても、誤解を避けずに申し上げると、ベートーヴェンのピアノ曲と対等とも言える見事な作品群なのですね。
演奏次第でショパンの作品のすばらしさへの大衆の理解が左右されるわけですから、ルービンシュタインがショパンの演奏史に残した足跡は、非常に大きかったと言えます。

ルービンシュタインが批判の対象としていたのは、例えばフランス生まれのショパン演奏の大家、アルフレッド・コルトーです。ショパンの作品の校訂をしたピアノの大巨匠でもあるコルトーですが、その解釈はルービンシュタインとは対照的でした。

 

これはコルトーが演奏したショパンの夜想曲第2番です。美しい演奏ですが、ルバートが多くても自然な流れを失うことのない、見事な演奏だと思います。ルービンシュタインが批判するような、感傷的な気分に包まれているかどうかは、ルービンシュタインの演奏を聴いてから、ご自身で感じてみて下さい。(因みにルバートとは、遅くなったり、速くなったりする歌いまわしの方法です。フレーズ感に動きが出るのは事実ですが、やり過ぎると品が悪い、センスがない、と批判の対象になるのです。)

 

こちらはルービンシュタインによるショパンの夜想曲第2番です。
ルバートのかけ方は安定しています。ですから個人的なセンチメンタルな感覚としてではなく、客観的な美しさのなかにショパンの描きたかった音が流れて行くように感じます。感じ方に個人差があると思いますが、
僕はルービンシュタインの言いたかったことは、凄くよくわかるように思います。最後は演奏の品格の問題ではないか?と思うわけです。

因みに僕はペーター・マークの弟子ですが、ペーター・マークはコルトーの弟子としてパリでピアニストの修行をしていました。そしてコルトーの指揮でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏したと言っていたのですね。孫弟子としては、コルトーについては昔から大ファンでもあったわけで、しかもコルトーの校訂したバラードやポロネーズの楽譜を使っていましたから、悪く言うつもりはないんです。こういったルービンシュタインの気づきとは、時代の流れでもありました。またコルトー自体はピアノ演奏のメカニックについて、あまり優れていたわけではなく、当時コルトーが弾いていたと思われるフランス製のガボーやプレイエルといった楽器の特性もあると思うわけです。対してルービンシュタインはアメリカのスタンウエイ・アーティストの代表だったわけですから、楽器の影響や時代の影響は、ハッキリと見てとれます。

以上今日はショパンについてのお話でした。できれば「コルトーの方が好き」だとか、「ルービンシュタインを聴いてこう思った!」みたいのコメントが欲しいですね。よろしくお願いいたします。

ピアニスト列伝:アルトゥール・ルービンシュタイン① – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Online Shop

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ルービンシュタインと言えば、戦後の名画「カーネギーホール」で
日本の聴衆には有名でした。その後彼が日本に来日したかどうかは
記憶が定かではないですが、指揮者の岩城宏之さんが生前テレビなどでルービンシュタインの話を情熱的に語っておられたのが、日本での最初のレビューという訳です。

ちなみに岩城さんは「彼は僕の若い頃に似ている」と言って、僕を出光音楽賞に推薦してくださったようですが、2001年の受賞コンサートの折、パーティでご挨拶もできず、その直後に他界されたので、実は一度もお会いできていません。とても残念な思いです…

そんな岩城さんが何度も共演して親交を深めたのがルービンシュタインです。「小さな身体だけれど巨人だ…」僕はルービンシュタインの自伝をまるで「聖書」のように読みふけっていたので、岩城さんの語るその意味が、子供ながらによくわかるような気がしたのです。

ルービンシュタインと言えば、僕にとっての「神様」みたいな存在でした。それは彼が19世紀末から20世紀初頭のParisパリの社交場であるサロンで愛された存在だからでもあります。当時のパリでは世界中のアーティストが集い、分野を超えて互いを刺激し合っていました。ルービンシュタインはそこでの代表格ではないのに、若くて才能があり、感性がとびぬけて優れていたため、多くの異業種の人達と交流が可能になったのです。

ピカソやロートレックはもちろんのこと、ロシアバレエ団のディアギレフの話や、ドビュッシーの「牧神の午後の前奏曲」やストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」の初演に立ち会った時の話は絶品です。またR.シュトラウスの「サロメ」の「7つのベールの踊り」を聴いて、一度で覚えてしまい、それを楽譜もみないでピアノで再現して、パリのサロンというサロンを席捲したという話も秀逸です。

30歳までは殆ど練習をしなかったというのも面白い。それまでは単に才能だけでやって来れたが、ここからは練習が必要だ、と感じて、毎日練習を始めた、というのですから。それが90歳近くまで現役で居られたピアニストの人生だ、と思うと「なるほどな」と思う訳です。

僕は例えば「カサノヴァの回想録」だとか、「ベンベヌート・チェリーニの覚書」などが大好きですが、その理由は当時の社会的な背景が良く理解できるからです。他にも「ダ・ポンテの回想録」はモーツァルトの同時代人として貴重な文献です。読み物としても極めて面白く書けています。でも、何より面白いのが、このルービンシュタインの回想録です。

カサノヴァと同じ資質があるのは、大の女好きな部分ですが、それだけではなく、胎道を出たあたりからの記憶が、全て記憶されている点です。ルービンシュタインの場合はそれを後に映像として思い出しながら、殆どのイヴェントを克明に描写できたようです。すごいですよね。

ルービンシュタインはポーランド人としてロシア語やポーランド語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、英語などができましたが、パリに家があり、フランス語で最後は「失われた時を求めて」を読むくらいフランス語に堪能だったと言います。こう言ったルービンシュタインの語学に対する適応能力こそが、僕の外国語への興味を大きく刺激したことは言うまでもありません。その後出会った音楽家は、リッカルド・ムーティなどを除いて、殆どが7か国語くらいは堪能でしたから、音楽家としての必須要件のなかに、語学というのはあったわけです。

僕がペーター・マークのアシスタントになってから聞いた話ですが、マークのパリのデビューは、このルービンシュタインのリサイタルのオーケストラでの伴奏だったそうです。ルービンシュタインは協奏曲を3曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番とシューマンのピアノ協奏曲、そしてサンサーンスのピアノ協奏曲第2番を一晩で弾いたそうですが、どうやら指揮台に向かったマークの目には、ルービンシュタインが曲順を間違っていたように映った、というのですね。

 

(これは先日5月に紀尾井ホールでのAfiA公演でのシューマンです。)

シューマンはオーケストラの和音と同時に、すぐピアノの独奏が始まります。最初の曲はシューマンですから、ルービンシュタインが準備が出来ているかどうか、マークは彼の方を見たそうです。ところが目をつぶって、上の方を見上げたまま、マークには一瞥もくれず、の様子だったらしいのですね。ルービンシュタインは曲順を間違えて、ベートーヴェンの前奏が始まるのを待っていた、というわけです。ベートーヴェンの場合は約3分ほどピアノなしでオーケストラの前奏がありますから、その前奏が終わるのをルービンシュタインは待っていたようなのですね。

そこでマークは容赦なくシューマンを始めると、ルービンシュタインは、驚いてピアノの椅子から飛び上がると、すぐにシューマンのソロを始めたそうです。悪戯が過ぎますよね。(笑)

ルービンシュタインが若い頃は、ベートーヴェンの解釈を酷評されたと言います。当時はベートーヴェンの大家、アルトゥール・シュナーベルが全盛期。ルービンシュタインの演奏は情緒的で、ベートーヴェンに必要な論理性に欠ける、という評価があったようです。

30歳を超えてからのルービンシュタインは、その辺りを意識して自己変革をしていくのです。そしてピアノ協奏曲全5曲の素晴らしい名盤を世に残してくれています。(つづく)

 

英語ですが、ルービンシュタイン90歳の時のインタビューです。
音楽はメタフィジカルなものだ。目に見えないもの。この言葉好きです。